2012年6月20日水曜日

昨日のドラマ:遺恨ありですが 最高なドラマだったと思ったのですが

昨日のドラマ:遺恨ありですが

最高なドラマだったと思ったのですが

・江戸から明治初めの頃だったから

侍魂のような人がまだ残っていた時代だった

のだと思いますが

今まで見てきた時代劇?の武士の人の

イメージとかも変わりました。

仇討に対してのイメージも変わりましたが

みなさんはどう思いましたか?



(山岡先生が言ったように、一生ダメにする覚悟)

けして江戸時代だったとしても

仇討が簡単な事ではなかったと言う事ですよね?







仇討ちの是非については、臼井六郎の父母を惨殺した連中も当時の上司の指図でやった事ですね。その上司が責任を取らずに逃げ回ったので直接の下手人は損をしました。仇討ちが許されていた時代の事件を仇討ち禁止になった時代に決着を付ける、、、気持ちでは大いに六郎に同情しますが、気持ちや情は人それぞれ、その為に法律があるわけで、まあ難しいことです。よくまとまった映画でしたが、野次馬の特権で(笑)二、三の批判を、、、



出演者のメーキャップと言うか、十年、二十年の時の流れが感じられない。同じ顔をしています。髪に少し白いものでも混ぜて時の移り変わりの感じを出せばもっと効果があったのでは??



また、北大路欣也は山岡鉄舟を重厚に演じましたが、山岡は身長六尺二寸(188cm)、体重二十八貫(105kg)で当時としては(今でもそうですが)群を抜く巨漢、北大路は普通の体付きなのでそこがイメージに合いませんでした。



もう一つ、母親を斬殺した萩谷伝之進は首吊り自殺をとげるわけですが、ぶら下がった足元あたりを最初に見せ、それで首吊りだという事は十二分に分かる。それをわざわざ顔を含めた上半身全部にパンしたのは不必要だしグロテスクと思いました。



中々見ごたえのある映画でしたが、ヒマにまかせて以上まで、、、。








面白かったです。

北大路さんの迫力さすがでした。



親の仇ですよね?

別に武士でなくても仇を討ちたいと思うんじゃないの?と思いました。

当時の非武士階級にそういう考えがあったかはわかりません、

現代人の感覚なのかもしれません。



士族じゃなくても情状酌量されて良いんじゃないのかな?

結局最初の殺人を曖昧にした為に起こった事件なんだし、

と思いました。



仇討ちってやりだすときりが無いですよね?

極論いうと片方が全滅するまで続くと言えなくも無いですよね。

討たれた本人も、奥さんもそのことが判っていて

子供にその旨言い聞かせて、「復讐の螺旋」を断ち切ったというのが

心に残ったかな。

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