2012年6月14日木曜日

過大評価な映画監督

過大評価な映画監督

黒澤明

ハワード・ホークス

スタンリー・キューブリック



この三人は過大評価だと思ってます。



黒澤明の影響力は私も知ってますが、影響力が面白さに直結するとは思いません。

黒澤明だからという理由で評価を上げていませんか?

権威に縛られて評価していませんか?



ハワード・ホークスについては一部の批評家の神格化に疑問を抱きます。

それに追従するかのように自称映画通らもこぞって持ち上げる。

批評家に影響されすぎていませんか?

神格化するほど面白さを感じますか?



スタンリー・キューブリックは表現の仕方は個性的ですが、

作品の本質を理解した上で面白いと思うのですか?

何となく面白いと思うだけで『2001年宇宙の旅』を評価しているのですか?



映画通ぶりたくて評価していませんか?





と、ちょっと挑発気味に書いてしまいましたが、私の鑑賞眼が低いことは承知しております。

しかし、(この三人に限らず)本当に権威やら評論家の評価等に影響されず自分自身の感性で心から面白いと思ったのか疑問に思いました。

私もつまらなかったわけではありません。

しかし、世間の評価と自分の評価のギャップに戸惑ったので質問させて頂きました。







すみません。

私はマイケル・ベイの『トランスフォーマー』を見て喜んだりするような、

大ばか者の映画ファンですが、

大ばか者の体験を少し書きます。



ハワード・ホークスは、子供時代(幼児と言ってもいいくらい)のころ、

テレビで良く放映されていました。

その頃に見た、『赤い河』の印象は、いまもって鮮明です。

多分幼稚園児くらいだったと思います。

食らいつくように見た記憶があります。

この方の映画はテレビ放映でいろいろ見ました。

そして初老になろうかという今でも、鮮明に記憶の中で面白かったと、

印象深かったあの映画やあの映画をとっていた人がハワード・ホークスで、

なんだか知恵袋でもふっるい映画なのに評価されてる、と知りました。

私みたいなアホな映画ファンの記憶にも焼きついたのは、

凄い人だったからなのか、そしてそういうアホでも分かる映画を、

通の人もいいと思うんだと、嬉しくなりました。



黒澤明の映画を初めて見たのもテレビです。

『七人の侍』をノーカットで放映していたのですが、

私は多分小学生くらいだったので、世間の評価など知りませんでした。

でも、これも食らいつくようにして見ました。

吸い込まれるほど面白かった。

でも、だからと言って、黒澤明の映画をもっと見ようとかは思いませんでした。

監督がどうとか分からないし、知らないし、

ただ、とてつもなく面白くて、全身覆いつくされるような迫力のある映画を、

今日は見たな、で終わりでした。

その後、レンタルビデオという文化ができました。

兄が、黒澤明の映画を借りてきました。

最初は『天国と地獄』だったと思います。

なんでそんな古い映画を借りてきたのと聞いたら、

面白いらしい、と兄が答えました。

この時『七人の侍』も黒澤明も私の念頭にはありませんでした。

兄がビデオを見始めて、私は変なの、と思いながら横で見ていました。

そしてそのまま最後まで、あの『七人の侍』を見たときと同じ、

画面に食らいつき、吸い込まれるように面白く、体中が迫力に圧倒されました。

その後次から次へと兄が借りてきた黒澤明の映画を、

私も一緒に見て、やっぱりみんな同じでした。

もうタイトルは全部覚えていません。

ほんとにアホの映画ファンなので。



キューブリックの映画を初めて見たのは、

『2001年宇宙の旅』のリバイバル上映の時で、多分17、8歳くらいでした。

SFファンなので、見に行きたいと思ったのです。

恥ずかしながら、キューブリックという名前もあんまり分かってなかったと思います。

ただ、名作SF映画が70㎜でリバイバル上映されるという新聞広告を見て、

行きました。

そして、これは何度か書いていますが、

最後まで、瞬きするのを忘れるくらい圧倒されて、

見終わった後、目がカピカピに乾燥していました。

なんかとんでもないものを見てしまったぞと、

フラフラと通路に出て椅子にへたり込んだのを今でもはっきり覚えています。



それでも、初老にかかろうかという歳になっても、

ラジー賞を受賞した『トランスフォーマーリベンジ』を見て、

駄作だかなんだか分からないけど、オプティマスかっこよかった~、

と思っているような大ばか者の映画ファンのままです。

でも、さすがにその「オプティマスかっこよかった~」と、

ホークス、黒澤、キューブリックの映画を見たときの、

吸い込まれるような、魂奪われるような感じが違うのは分かります。



なので、映画のことをとてもよく知っている人が、

アホな私が面白かったと思った映画を褒めていると、

バカみたいに嬉しくなります。

別に私にも楽しめる映画だって、偉い人は褒めるんだなと嬉しいです。



私は普段映画の話など特に誰ともしないので、

この三人の映画監督の映画が面白かったといって、

自分を良く見せる役に立つわけではありません。

知恵袋でも、そんなにこの方たちのことをことさら書いたことはありません。

ただ、「私でも楽しめたよ」というつもりで書いたことはあります。



経験上、権威という後光のない状況で見て、

何十年たっても忘れられないような印象をこの三人の映画から受けたことがある、

ということを、ご参考までに書いてみました。m(_ _)m



あともうひとつ。

私は映画が好きです。

私が何者であるかも問わず、私が何をしてきたかも問わず、

映画が面白かったか、分かったかさえ問わず、

ただただ楽しませることに奉仕する映画が大好きです。

その映画に対して、私を飾る権威など求める気持ちなどありません。

愛して、感謝する以外何もないです。








わたしは監督で映画を観ませんから、回答資格はございません。映画は、役者。そして、内容。

この三人に共通する、なにがしかがありそうですが、まあ、わかるひとはわかってる。

自称映画通は、このような質問には回答できないでしょうね。その意味で、このご質問には価値があります。

ここに集ったのは、単なる映画好きです。好きな映画もきらいな映画も、たくさん観てきただけのひと。あなただって、そうでしょう?

たかが映画、されど映画。騙されてナンボ、それがまた楽しい。

それに、クレジットに名まえのあがらないかたがたのことを思えば、どんな映画のことも愛さずにはいられない・・・なんて、クサい〆で終わりです。







先のお二方に同意します。



自分の評価が高くないにもかかわらず、黒澤とホークスとキューブリックは映画の世間では高く評価されている。

それはおかしい。

さては、権威に縛られ、批評家に影響され、映画通ぶりたくて評価しているな。

世間は、実は過大評価しているんだ、という論理ですね。

失礼ながら、その考えは傲慢かつ幼稚に思えます。

しかも、例に挙げられた映画作家を心から愛するファンに対し、失礼です。



1978年11月に旧有楽座で鑑賞して以来、「2001年宇宙の旅」は、私の生涯最高の作品になりました。

それから33年間、それは一度も揺らいだことがない。

しかも、私のオールタイムベストテンには、「博士の異常な愛情」「時計じかけのオレンジ」「シャイニング」など、キューブリックの作品が4本も入ってしまっている。

私は、映画通ぶりたかったのですか。いったい、誰に対して?



黒澤を、権威に縛られて評価している人っているのですか?

だって黒澤明って、「天国と地獄」「椿三十郎」「赤ひげ」「隠し砦の三悪人」の監督ですよね、確か。

「白痴」とか「醜聞(スキャンダル)」とか「八月のラプソディ」とか「まあだだよ」など、わずかな例外を除いて、黒澤の映画はたいてい、めちゃくちゃ面白いじゃないですか?

黒澤明だから評価しなくちゃいけないなんて風潮、どこにあるんですか?

火星とか?



ハワード・ホークスの神格化は、確かに私もよくわからない。(実はイーストウッドも)

いつも水準以上の面白い作品を撮る監督、くらいの認識しかありません。

しかしcassavetesfacesさんが書かれていることを読むと、私はカッティングなどを読み取る力がないので、ああ、自分はまだまだ勉強不足なんだ、何もわかっちゃいなんだ、と思います。

自分に理解出来ないものは、どこか自分に足りないものがあるのかもしれない。

そう考えたことは、ありませんか?

私は、初期作品を除いて、イタリア映画界の巨匠、フェデリコ・フェリーニの映画の良さがわからない。

でも、フェリーニが過大評価されている、と考えたことなど、一度もありません。

私の何かが足りなくて、または私と何かが合わなくて、私には理解出来ないのだ、と思っています。



挑発気味に書かれたということなので、乗りました。

私だって、鑑賞眼が高いなんて思ったことは一度もない。

だから、いつも映画に対し謙虚であろうと思っています。







まずはじめに、私は「通」ではなくて「ファン」です。



こういう評価の高い監督を評価すると「通」ぶりたくて評価していると思われることにいつも疑問を感じます。

それはこの知恵袋を始めてから思ったことです。

そういうこともあって私は評価されている監督を絶賛するのに少し抵抗を持つようになりました。この知恵袋ではホークス、黒澤、キューブリックだけではなく他の数名の監督に関してもそのように感じます。



評価されている事を十分承知して鑑賞していても面白い物は面白いしつまらない物はつまらない。それは自分の感性で感じた事なのにどうしても評論家の評価で判断していると思われがちです。

私はほとんど評論家の評論を読まずに(蓮実重彦氏の評論だけ少しは読みましたが)今に至るので誰がどのように評価しているかなどはまったく知りませんし、あまり興味がありません。

そんな私でもこの3人の監督が素晴らしく評価されている事は知っていますが、その監督作品を私の感性で観た限り決して「通」ぶりたいから評価しているなんて思えません。



確かにストーリーだけで見た場合ホークスや黒澤は今の感覚からしたら単純でつまらないかもしれませんが、私が思う映画とはストーリーの複雑さや面白さではないと思っているので、そういう人を見るとその人はストーリーだけが映画の全てだと思っているのだと思うようにしています(が、あまりいい気はしません)。



あまり詳しいわけではないですがホークスの「赤い河」の最後の喧嘩シーンのカッティングはこの監督が神格化されて当たり前だと思うぐらい映画的興奮に満ちています。

その喧嘩シーンのアクション・イン・カッティング(アクションの一致)は見事で、アクションはカメラをぶんぶん振り回さなくても、拳銃や爆発がなくてもカッティングだけで迫力を与え、映画的驚きに満ちた画面を作り出せることを証明しています(ジョン・フォードも)。

最近見直したジョン・カサヴェテスの「アメリカの影」の喧嘩シーンを見てホークスのアクションの編集の凄さを再確認しました。

この「アメリカの影」という作品はかなり好きでこの監督も大好きですが、この喧嘩シーンにはホークスのカッティングから感じる興奮は得られません。全てがカットが変わってから動き出すというアクションです。

カサヴェテスの傑作でさえも(個人的に好きで凄く評価している監督なので比較するために出しました)、ホークスのそれには遠く及ばない。

それをホークスは大昔からやっているわけです、まだまだ評価される部分はあるのでしょうけどホークスはそこまで詳しくないので分かりませんが、それらのアクションを見てしまったら(気づいてしまったら)過大評価だとは口が裂けても言えません。



黒澤にしてもストーリーだけでは今の感覚だと物足りなさを感じるかもしれませんが、私は黒澤は分かりやすさを持った映画的興奮に満ちている画面が魅力だと思います。

「七人の侍」の雨の決闘にしても「蜘蛛巣城」の弓のシーンにしてもまだまだありますが、理屈は分からなくても迫力や興奮は十分に伝わってくる映画だと思います。やはりそれだけ見ているだけでも面白さは伝わるのではないでしょうか。

私が特に好きなのは「野良犬」の拳銃を捜し歩くシーンのスーパーインポジション(二重露出)の分かりやすさと面白さ。

三船敏郎の目の超クローズアップに重ねるようにそこにいる人々を映すシーンでの三船の必死さや時間経過の分かりやすさは素晴らしく映画的興奮に満ちています。

私が思う黒澤の魅力は画面の分かりやすさの中にある映画的興奮だと思うので、いつの時代でも評価されて当たり前だと思います。



>スタンリー・キューブリックは・・・・、

作品の本質を理解した上で面白いと思うのですか?

これについて、まず、本質を理解しないと面白いと感じてはいけないのでしょうか?

おもに「2001年・・・」の解釈について仰っているのだと思いますが、画面の面白さ映画全体の雰囲気で面白いといってもいい作品だと思います。

私の解釈は一般的に正解と言われている解釈ですが(この知恵袋でその解釈が一般的だと知りました)、その解釈がキューブリックの意図していたものと違っていたら作品の本質を理解していないと一般的にはなるかもしれませんが、私はそう思いません。

私の場合(あくまで私の場合なので)作品の本質とは画面映っている物なので、映っていない物(メッセージ)は時には無視してしまうこともあります(重要だと思いますが)。

なので、映画の本質というからには映っていない物を論じるよりも、映っている瞬間の感動を感じたり語り合う方が映画を楽しめるのではないかと思っています。

誤解があったらいけないので付け加えますが、テーマやメッセージを見ることも素晴らしいことだと思いますし、私も基本はその事を考えますが、基本的に画面に映っている物からの方が感動します。







その人にとって面白ければ面白いし、つまらなければつまらない。

それでいいと思いますけどね。



ホークスだって、黒澤だって、キューブリックだって、私にとって彼らの晩年の

映画はおよそつまらなかった。「まあだだよ」なんて幾つかのシーン以外は

クズだと思うし、「アイズ・ワイズ・シャット」だって編集をやってないから

間引くとしても、駄目な映画だと思う。



でも、全盛期の油が乗ってた頃の作品は今観たって凄いものは凄い。

大画面で観た「七人の侍」は鳥肌ものだし、昔、名画座で観た「赤い河」も

凄かった。「時計仕掛け」とか「バリー・リンドン」なんか、ビデオで観ちゃ駄目な

映画の典型だと思うし。



虚心坦懐に映画としてちゃんと観たら、映画のよしあしは監督の名声とかに

関係なく、ちゃんと見る人の心に届く。

スピルバーグだって、全部が全部100点じゃない。それは黒澤も(以下略



監督の名前に関係なく、面白い映画は面白いし、つまらない映画はつまらない。

それで良いんじゃないでしょうか。

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